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うわごと
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HP、ブログ、ツイッター、個別に携帯アドから沢山の方からの
なにかできないか?協力するよ!応援するよ...声頂いています。
今回被災地より(なんかそう書くと重いな...)故郷から帰ってきて
そういった応援の声に対して思うことがありました。

避難所の母の体調がおもわしくない、2週間経って電話で話せてわかったことでした。
すぐさま準備して、現地の幼なじみに確認をとって向かった。

幸い実家の近辺、町は奇跡的に残っている。(旧本吉町、津谷)
気仙沼から近辺の南三陸(旧歌津、旧志津川)はほとんどの町や集落は
海沿いに点在している。
ほとんどが被害を受けている中、津谷の町は少々海より内陸にあるので
津波の被害は出ていなかった.....はずが
川津波。
実際その土地にいても聞いたこと、伝わってもいなかったのではなかろうか?
小泉地区の町をすべて飲み込み、川をさかのぼっての被害。
距離は定かではないが、海からかなり離れたこの町の病院の1Fまで飲み込み
川沿いの家々を破壊したまま、町の裏でやっと止まっていた。
海沿いの橋はなくなっているためいつもとは違う山ルートで入る。
山田地区といういかにも山の中にある川から異常な景色があった。
津波の終着点がそこにあった。倒れかけの電柱の下を通った時に
なんというかこころの何かが切り替った 現実だ....と 未完成つづく

 
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 彼女との出会いは家の中。

お台所のお米袋が揺れている。
またネズミか(そんなに出ない!)
どうしてくれよう。と、そおっとのぞくと目が合った。
あわてて逃げるわけでない、ゆっくりと家から出て行った。
真っ白い、青い目をしたニャンコだった。
泥棒(未遂)しているくせになんと気品のただよう奴なのだ
と変なリスペクトをしたものだ。

今年はめずらしく雪が積もった。そしていつもどおり寒い!
夜勤の仕事を終え(決してバイトではないっ人間修行...うんそうだ。続く)
いつもは目の覚めることは決してない早朝に犬の散歩に行く。
冬の早朝、いつもの川沿いの散歩道はとてもきれいだ...真っ白で

川からゆげ?が立ちのぼり、夜が明けはじめるかどうかの
薄暗さから明るく変わるあたりがとても好き。
決して起きることのない早朝だけど、田舎を出て大都会東京で一年間だが新聞を
くばって予備校に通っていた。
とっても濃い一年だった。いろんな想い、そのイメージが夜明けに集約されているのかな。

さてニャンコ。
その寒く、美しい景色の中草むらに丸まっていてこっちを威嚇する。
刺激をしないように、そのたくましさに感心しながら通り過ぎる。
度々出会いを重ねながら、その日が突然きてしまった...
どうしようもない無力を感じた日。
そんな時いつも気高く、力強く威嚇する彼女がその日は
弱々しく『近寄らないでっ でもなにか食べ物持って来なさいよ!』と
命令するように言った。下僕気質の私はすぐさま犬のシシオのご飯をもって行った。
お気に召すかどうかわかりませんがどうぞお食べになって下さいませ。
彼女は(たぶん♀)怒りながら近寄り食べ、怒りながらごちそうさまをした。
こんどはあたたかいお家を用意しなさいよ。 とまた怒りながら言うので
すぐさま段ボールで少しおしゃれなお家を用意した。
また怒りながら入ってくれた。

なにをするにも怒って(威嚇)いた彼女だが、今では犬の背中に
乗せてもお怒りにはならない。
野で生きていくには、そうならざるおえなかったのだろう。

今までは生き物の世話をするという自信がなかった。
責任を背負う勇気がなかった。覚悟がなかった。
津波でもっていかれたふるさとの多くの命、背負う。背負える器ではない...
出来ることではない...けれど
思い込むことは出来る。
それを力に変えることができる。
そう信じている。

こんどは家に(母屋)に入れなさいよ と言っている。
怒ってはないけど
甘えたように 言っている。
どうしようかと悩んでいるが
時間の問題だと誰かが言っている。







 『おだずな』って田舎で使っていた言葉がある。

会話の50%を使ってたような おおげさではないイメージが.... ある。
単純にいえば 『ふざけるな』
でも仲の良いともだち同士、家族で、恋人同士、言い方で伝えたい事がちがう。
怒りに満ちた『おだずな』もあるけど
僕の中の記憶を占めるおだずなは、友達どうし、家族で使う、じゃれあいの中で
出てくる、親しみをこめたやさしい『おだずな』。

海や自然に対して怒りを込めたおだずなを言いたい時もある。
だけどそれよりも、いちはやく
友達、恋人、家族で使う親しみを込めた
やさしい『おだずな』を使えることを望んでいる。

みんな早く使えるよう望んでいる。



東京に出て来て、姉にしっかり教育してもらった。
こっちに来たらみんなと同じ言葉を話すんだよ。と
そんなに違わないと思うが、意外と標準語が出てこない。
なんでだろ.....
出て来て20年経つ。
ふるさとの言葉には気持ちを表す単語、語尾、言い方の強弱等
とってもしっくりきているんだろうな。
それが使えないから喋るの苦手...という言い訳は成り立たないが
せめて作る作品はなまらせてもらおう。

堂々としゃべれ
べらべらいっぱいしゃべれ
もっていがれだ(もっていかれた)人たちの分まで
いっぺーしゃべれ

しゃべれ! しゃべれ! しゃべれ!
 『ちちホヤジ』  

ちちホヤジとは 私の父である。
直見。昭和6年生まれ。ガンコもの。
手帳にはさんであった写真が えらく険しい顔だったので
ホヤを乗っけた。(気仙沼市マスコット ほやボーヤより)

鉱山の仕事で故郷離れ北海道、青森、岐阜、宮城etc...
いっぱい転勤した。姉は北海道、私は岐阜で生まれてる。
働くのも、住むのも命がけ。
青森、北海道では自然がものすごい。(鉱山がある所はどこもすごい僻地)
週1、町に除雪車?のようなもので買い出しに。
母買い物帰り、一瞬でふぶきになり、選択あやまると命とられてた。
熊が残飯を夜中に漁り、現場では目の前で人がふきとぶ。
父は現場あがりの叩きあげの現場監督をしていたようだ。(最近話してくれた)
現場は地下およそ約300m(チリのは掘り過ぎみたい)までエレベータで降りて行く。
150mまで母達家族が降りて行って見学する。
おとうちゃん達がどうやってお金を稼いでくるか知ってもらうために。
その150mでさえ強烈な熱と粉塵と湿気。
たぶん母が行かなかったら、その言葉出てこない。
そういったこと父は多く語らない。
『 なぬもかにも まっ白で 口ど目だげ ギラギラしてで 』

そんな理屈ではない世界 表したい。

                  2010.11.20~11.28    茨城、笠間 Nobus GALLERYにて


そんな父や母、海の男達、かーちゃん達、猛者のじいばあ達、町のひと達、こどもたち

負けるわけがない。

うろたえて いるのは 私たちだけだ。

すっかりすろ! (しっかりしろ)


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